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神戸地方裁判所尼崎支部 昭和49年(ワ)436号 判決

(一) 大阪府高槻市安満東之町三の一四

原告 枦山善畩

〈ほか一四名〉

右(一)ないし(一五)原告ら訴訟代理人弁護士 藤原精吾

同 高橋敬

同 宮後恵喜

同 川西譲

同 足立昌昭

同 垣添誠雄

同 上原邦彦

右(一)ないし(七)原告ら訴訟代理人弁護士 井藤誉志雄

同 前田貞夫

同 前哲夫

同 小牧英夫

同訴訟復代理人弁護士 田中秀雄

同 福井茂夫

右(八)ないし(一五)原告ら訴訟代理人弁護士 佐伯雄三

同 田中英雄

同 福井茂夫

同県尼崎市御園町五番地土井ビル七階

被告 昭和電極株式会社

右代表者代表取締役 大谷勇

右訴訟代理人弁護士 田中藤作

同 久万知良

右当事者間の頭書損害賠償請求事件につき、当裁判所は、左のとおり判決する。

主文

一  被告は、

1  原告枦山善畩、同金谷又一に対し各金一一八八万円、同西野石松に対し金三九六万円、同藤井留吉、同阪田文雄に対し各金二九七万円、同藁俊雄、同篠原照吉に対し各金一九八万円、およびそれぞれにつき、昭和四九年一〇月二九日から右支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

2  原告山内清、同井上勢溢、同谷岡正恵に対し各金一一八八万円、同古賀正行に対し金八九一万円、同横山進、同松浦熊次郎に対し各金二九七万円、同向井太津三に対し金一九八万円、およびそれぞれにつき、昭和五二年三月九日から右支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

二  原告浜田綾子の請求およびその他の原告らのその余の請求はいずれもこれを棄却する。

三  訴訟費用中、原告浜田綾子と被告間に生じた分は同原告の負担とし、その他の原告らと被告間に生じた分は被告の負担とする。

四  この判決は、原告枦山善畩、同金谷又一、同山内清、同井上勢溢、同谷岡正恵の各勝訴部分中、いずれも内金五〇〇万円については無担保で、その余金員については金二二〇万円の担保を供することで、同古賀正行の勝訴部分中、内金四〇〇万円については無担保で、その余の金員については金一六〇万円の担保を供することで、同西野石松の勝訴部分中、金一九〇万円については無担保で、その余金員については金七〇万円の担保を供することで、同藤井留吉、同阪田文雄、同横山進、同松浦熊次郎の各勝訴部分中、いずれも内金一四〇万円については無担保で、その余金員については金五〇万円の担保を供することで、同藁俊雄、同藁原照吉、同向井太津三の各勝訴部分中、いずれも内金九〇万円については無担保で、その余金員については金三〇万円の担保を供することで、それぞれ仮に執行することができる。

事実

第一申立

一  原告ら

1  被告は、

(一) 原告枦山善畩に対し金二二〇〇万円

同 藤井留吉に対し金五五〇万円

同 阪田文雄に対し金五五〇万円

同 藁俊雄に対し金三三〇万円

同 西野石松に対し金五五〇万円

同 篠原照吉に対し金三三〇万円

同 金谷又一に対し金二二〇〇万円及びこれらに対する昭和四九年一〇月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を各支払え。

(二) 原告山内清に対し金二二〇〇万円

同 井上勢溢に対し金二二〇〇万円

同 古賀正行に対し金一六五〇万円

同 横山進に対し金三三〇万円

同 谷岡正恵に対し金二二〇〇万円

同 向井太津三に対し金三三〇万円

同 松浦熊次郎に対し金三三〇万円

同 浜田綾子に対し金二二〇〇万円及びこれらに対する昭和五二年三月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を各支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二主張

一  請求原因

1  当事者

被告は黒鉛電極等の製造販売を業とする会社であり、原告ら(原告谷岡及び同浜田を除く。)は、後記のように、被告との雇傭契約による被雇傭者(以下、「従業員」という。)であり、または被雇傭者であった者であり、黒鉛電極の製造作業に従事してきた。

原告谷岡は、従業員であった亡米田良雄(訴訟承継前の原告。昭和五二年一〇月一〇日死亡。以下、「亡米田」という。)の養女であって、その相続人である。

原告浜田は、従業員であった亡浜田乙吉(昭和四七年七月一八日死亡。以下「亡浜田」という。)の妻であって、その相続人である。

2  黒鉛電極の製造工程と職業病の発生

(一) 被告会社西宮工場における黒鉛電極製造工程は、別紙工程図のとおりであり、その原料は石油コークス、ピッチ、タール、酸化鉄等であるが、左のとおり劣悪な作業環境であって、労働衛生上極めて問題が多かった。

すなわち、粉砕工場(右原料を粉砕し、微粉末にし秤量する工程)での作業は、機械で粉砕したものをふるい分け、それを配合場まで運搬するというものであって、作業方法は次第に機械化されたが、一貫して著しい粉じんが発生し、もうもうとたちこめた。

ねつ合・成形工場(原料を加熱してねつ合・成形する工程)、並びに焼成工場(成形されたものを焼成炉、黒鉛化炉で焼きタールを含浸する工程)では、原料である石油コークス、ピッチ等の微粉末を配合し、ねつ合機に投入する過程等で大量の粉じんが舞い上がり、さらにねつ合冷却の過程等で加熱された石油コークス、ピッチからタール分が気化し、高濃度のベンツピレンが工場内の空気を高度に汚染していた。

加工工場では、焼成された半製品の黒鉛電極を、それに付着するコークス粉(ブリーズ)を払い(けれん作業)、旋盤で削って両端に螺子を切りペーパーをかける等の仕上げ作業を行なうが、その際粉じんが発生してもうもうとたちこめた。

(二) 職業病

(じん肺)

右製造工程において発生するタール、ピッチの粉じんの吸引は、じん肺を引き起し、呼吸困難、胸痛、寝汗、咳、痰などの症状を伴い、不可逆的に心肺機能を低下させる。

すなわち、大量或いは長期にわたって粉じんが吸引されると、肺胞内に粉じんが蓄積され、やがて線維増殖が起り、肺が粉じんに埋めつくされて、肺胞の機能が冒され、次第に息切れを起す様になり、さらに病状の進行に伴い心悸亢進、咳、痰、胸痛、背痛などの症状がみられるようになる。階段をのぼったり、走ったりするのが苦しいというものから、歩行さえ困難になり全身が疲れやすく、衰弱し、酸素不足の状態が続くので全身が萎縮して瘠せて、顔つきも老人性顔貌を呈するようになる。さらに、気管支炎、肺炎を伴い、心臓の衰弱のため死に至ることもあり、また抵抗力が全く失なわれ、肺炎、肺結核その他によっても死に至ることが非常に多く、まさに死に至る病といわなければならない。

じん肺健康管理区分四の症状は、終身労務に服することができない状態であり、じん肺管理区分三以下でも、現実に労働能力を喪失し或いは低下している者が多数存在し、治療を継続している者が多数である。じん肺管理区分二の者でも六パーセントの労働不能者があり、じん肺管理区分一の者でさえ通常の状態の者は五七・八パーセントにすぎない。

(皮膚障害)

タール、ピッチ及びその気体は、皮膚等に接触することにより、皮膚障害〔日光過敏症、ポイキロデルマ(雀卵斑様色素斑、綱状色素沈着、角化症)、ガス斑、疣贅様皮疹、ピッチ疣、有棘細胞癌、軟乳頭腫、毛のう炎、黒色面皰、粉瘤腫、接触性皮膚炎、瘡などのタール皮膚症〕を引き起す有害物質である。また、タールに含まれるベンツピレンは、古くから発癌性があるとされ、接触付着により皮膚癌を発生させるほか、吸引により肺癌、食道癌等を引き起すことも明らかにされている。

3  原告ら(ただし、原告谷岡については亡米田、原告浜田については亡浜田、以下同じ。)の、(1)経歴、(2)罹病とその経過、(3)現在の症状は、左のとおりである。

(一) 原告枦山(大正九年二月四日生)

(1) 昭和四〇年三月からじん肺で休職する同四八年七月まで被告会社加工工場(以下、工場はすべて被告工場を指称する。)で就労し、同五〇年三月一五日解雇された。

(2) 同四三年六月ころから頭痛、手足のだるさを感ずるようになり、同年八月じん肺管理区分二と診断され、同四八年七月一三日にじん肺管理区分四と診断された。

(3) 現在、頭痛、動悸、息切れ、咳、痰、手足のしびれ、耳鳴り等の症状で通院し、寝たり起きたりの廃人同様の生活をしている。

(二) 原告藤井(明治四四年一二月三〇日生)

(1) 昭和一九年から同三九年一一月までねつ合・成形工場で就労し、同四〇年から同四二年三月まで浴場係として勤務していたが、同四九年六月から休職し、同五〇年三月解雇された。

(2) 入社当初から次第に皮膚障害に冒され、同四〇年ころから体調が悪化して動悸、息切れがし、同四六年一一月から同四七年七月まで入院加療し、同四九年六月から現在まで休業加療している。その間に同四九年七月タール・ピッチによる高度の皮膚障害と診断され、同年八月じん肺管理区分二と診断された。

(3) じん肺症、皮膚障害の症状は好転せず、現在も通院し、就職は不能である。

(三) 原告阪田(昭和二年一一月二一日生)

(1) 昭和二一年一二月から粉砕工場で就労し、同四九年一月に退職した。

(2) 入社当初から皮膚障害に冒され、また同三四年ころから体調が悪化して息苦しくて疲れやすく、風邪気味で動悸がするなどの状態が続き、同四八年五月一二日タール・ピッチによる皮膚障害と診断され、同四九年には皮膚癌の虞れで手術し、同四八年一〇月じん肺管理区分二と診断されている。

(3) 現在も、息切れ、動悸や疲れやすい状態はかわらず、皮膚の痛みが残って、通院している。

(四) 原告藁(大正九年八月一三日生)

(1) 昭和二三年一〇月から同四八年八月までねつ合・成形工場で、同月から同四九年三月まで加工工場で就労し、同四九年三月に浴場掃除に、その後発送の仕事に配転となった。

(2) 就労後次第にタール・ピッチによる皮膚障害のあらゆる症状に冒され、慢性咽喉頭炎も患った。同四八年四月二一日タール・ピッチによる高度の皮膚障害と診断されて前癌症状の虞れがあると注意され、同五一年一一月左手背の角化性丘疹が悪化し手術により切除したところ有棘細胞癌であった。

(3) 現在も皮膚障害の治療をするため通院しているが、顔が黒くなったのはとれないばかりか、吹き出物が続き、いつになったら治るか不明であるし、皮膚癌の虞れもある。

(五) 原告西野(大正九年二月一二日生)

(1) 昭和二一年六月から粉砕工場に就労し、同四九年四月退職した。

(2) 入社当初から皮膚障害に冒され、また次第に体調が悪化し、同四九年一〇月一四日タール・ピッチによる典型的な皮膚障害と診断され、同年八月じん肺管理区分二、同五一年一二月六日に同管理区分四と診断された。

(3) 退職後も症状は好転せず、息苦しさ、疲れやすさがひどくなり、体重も減り、咳がしつこく時々発作的におこり、めまいもするようになっている。仕事に就くことも不可能で、通院している。

(六) 原告篠原(大正一一年一一月一八日生)

(1) 昭和三七年一月からねつ合・成形工場で、同四九年七月福知山工場へ移転後は黒鉛化工場で就労している。

(2) 入社後皮膚障害に冒され、同四八年七月一〇日典型的なタール・ピッチによる皮膚障害と診断され、その前腕部の症状発疹が前癌症状であるとして切除手術をしたところ有棘細胞癌であった。

(3) 現在も皮膚症状はよくならず、通院している。

(七) 原告金谷(大正二年三月七日生)

(1) 昭和一四年六月から同四二年三月まで(途中昭和二〇年八月から同二二年六月まで退職し、同月再入社した。)、加工工場で就労した。同四二年に厚生係に配転され、同四五年三月解雇された。

(2) 同四〇年の健康診断でレントゲン写真に異常があったが、配転も行なわれぬまま次第に重症となり、同四二年三月に職場転換となったものの、同四四年七月じん肺管理区分四の診断を受けた。同年八月入院し、同四七年八月に退院した。

(3) その後現在まで通院加療しているが、じん肺症は一層進行し、咳、痰の絶え間がなく、食欲もおち、背中が痛み続け、風邪も引きやすく、働くことも全くできない。

(八) 原告山内(大正六年七月一二日生)

(1) 昭和一三年四月から(途中同一八年六月から同二一年六月までの兵役を除き)同四三年七月三一日に退職するまで加工工場で就労した。

(2) 同三五年ころから次第に体調が悪化し、同四二年七月には入院し、同四八年一二月八日じん肺症罹患を知らされ、同五〇年七月じん肺管理区分四の診断を受けた。

(3) 同四八年一二月以後は、何もできず、通院しながらじん肺症の治療に専念しているが、咳が出だすと何時間もとまらず、涙もとどめなくあふれ、体重も減りつづけ、ますます苦しい状態になっている。

(九) 原告井上(大正二年三月二日生)

(1) 昭和二二年七月一〇日から同四三年三月一五日退職するまで加工工場で就労した。

(2) 同四〇年ころから体調が悪化し、同四一年九月二四日結核合併のじん肺症でじん肺管理区分四と診断された。同四二年九月から同四三年三月末まで入院し、その後も通院加療している。

(3) 結核の方は良くなったが、じん肺は一層進行し、呼吸が苦しく、気分が悪い状態が続き、気が遠くなることもあるという重篤な状態にある。

(一〇) 原告古賀(大正一五年三月二一日生)

(1) 昭和三六年三月二六日からねつ合・成形工場で、同四一年三月から同四七年一〇月までは焼成工場で就労した。同四七年一〇月一三日売店係に配転となり、同四八年八月一五日退職した。

(2) 入社後皮膚障害に冒され、同四七年ころから体調が悪化し、同年九月にじん肺管理区分三と診断された。

(3) 息苦しさ、咳、痰は絶え間なく、薄着をするとすぐ咳が出るという状態で通院している。

(一一) 原告横山(大正五年四月一六日生)

(1) 昭和二六年三月から同年四九年三月に退職するまで粉砕工場で就労した。

(2) 入社後皮膚障害に冒され、同四六年ころから体調が悪化し、同五〇年一〇月じん肺管理区分一と診断され、同五二年二月二一日タール・ピッチによる高度な皮膚障害と診断された。

(3) 退職後も、皮膚障害、じん肺はよくならず、通院しているが、息苦しさ、疲れやすさは加重されるばかりである。

(一二) 亡米田(大正二年四月二四日生)

(1) 昭和二一年四月から同四九年四月退職するまで粉砕工場で就労した。

(2) 同四三年ころから体調が悪化し、同四四年じん肺管理区分二、同五一年一月同管理区分四と診断され、同五二年一〇月一〇日、その病状の苦しさに耐えられず、自ら命を絶った。

(一三) 原告向井(大正元年八月一四日生)

(1) 昭和二一年五月に機械修理工として就労し、同二五年四月から同三八年三月まで加工工場で、同年四月から退職した同四三年九月二二日まで焼成工場で就労した。

(2) 同三〇年ころから体調が悪化し、退職後に被告から同四二年にじん肺区分二であったことを知らされ、同五〇年二月同様の診断を受けた。

(3) 現在は、じん肺症に高血圧等も加わり、身体の自由もきかず、寝たきりで療養を続けている。

(一四) 原告松浦(明治四〇年一〇月一日生)

(1) 昭和一二年一二月から同四四年五月に退職するまでねつ合・成形工場で就労した。

(2) 同二九年ころから皮膚障害に冒され、同四四年ころから体調が悪化し、同五〇年七月じん肺管理区分一と診断され、同年四月一九日タール・ピッチによる高度の皮膚障害と診断された。

(3) 皮膚障害は依然として、皮膚の黒化、ピッチ疣として残り、顔や胸のあたりは見苦しい限りであり、頭痛や血痰がひどく、同四八年から同五二年初めまで入院し退院後も寝たきりの生活を続けている。

(一五) 亡浜田(明治四一年九月二九日生)

(1) 亡浜田は、昭和一二年から同三六年まで粉砕工場で就労し、同三六年浴場係へ配転され、同四〇年一〇月四日退職した。

(2) 同二二年ころから皮膚障害に冒され、体調が悪化した。同二九年肝臓と結核と診断され、以後入院をくりかえし、同四〇年二月二五日黒鉛肺結核によりじん肺管理区分四と診断され、同四七年七月一八日死亡した。

(3) 右のとおり、亡浜田は、昭和三六年以後風邪をひくと熱が出て、食事もとれず、衰弱し、入院をくりかえし、全身がやせ衰え、骨と皮ばかりになり、一〇年余を過ごして同四七年七月一八日死亡した。亡浜田の死亡により、原告浜田は同人の被告に対する本件損害賠償請求権を相続により取得した。

4  被告の責任

(一) 債務不履行責任

被告は、労働安全衛生法第三条、第二二条、第二三条、第六六条(旧労働基準法第四二条、第四三条、第五二条)等により、労働契約上の義務として、その使用する労働者が就業により生命・健康を損うことのないよう安全及び衛生上必要な技術的に可能な万全の措置を講ずる債務を負う。

とりわけ、原告らのように、コークス、タール、ピッチの粉じん作業を行なう職場で働く労働者については、当然予想される皮膚障害、じん肺などの疾病を未然に防止するため、

(1) 技術の変更・改良、材料の変更等作業方法ないし設備の改善による発じん等の防止、

(2) 密閉または包囲、局所排気装置等による粉じん、ガス、蒸気の飛散の抑制、排出、

(3) 呼吸保護具(防じんマスク等)、作業時間の規制等による労働者への防じん対策、

などに留意し、かつ必要な健康診断を行ない、早期発見に努めるとともに、診断によりじん肺等を発見したときは、労働者にその結果を通知し、早期治療はもとより、配置換、療養等を行なうなどして、その悪化を未然に防止する義務を負う。

しかるに、被告は、必要な防じん、換気等、タール、ピッチよりの防護措置を講ぜず、右労働契約上の債務を怠ったことにより、前記のとおり原告らに対して職業病を発生せしめたもので、債務不履行の責任がある。

(二) 不法行為責任

被告は、前述のように、安全および衛生措置をとらなかったことにつき、故意または過失があり、それにより原告らに前記職業病を発生せしめたもので、不法行為の責任がある。

5  損害

被告は、長期にわたる粉じん、蒸気、ガス等の暴露により原告らに被らせた苦痛、その結果罹患したじん肺および皮膚障害の財産的、精神的両損害を総合した意味での非財産的損害一切について損害賠償の義務がある。そこで、右損害額としては、前記原告らの罹病の経過、現在の症状、並びに被告の不誠実な態度等に鑑み、左のとおりの慰藉料額が相当である。

(一) 原告枦山

慰藉料 金二〇〇〇万円

弁護士費用 金二〇〇万円

(二) 原告藤井

慰藉料 金五〇〇万円

弁護士費用 金五〇万円

(三) 原告阪田

慰藉料 金五〇〇万円

弁護士費用 金五〇万円

(四) 原告藁

慰藉料 金三〇〇万円

弁護士費用 金三〇万円

(五) 原告西野

慰藉料 金五〇〇万円

弁護士費用 金五〇万円

(六) 原告篠原

慰藉料 金三〇〇万円

弁護士費用 金三〇万円

(七) 原告金谷

慰藉料 金二〇〇〇万円

弁護士費用 金二〇〇万円

(八) 原告山内

慰藉料 金二〇〇〇万円

弁護士費用 金二〇〇万円

(九) 原告井上

慰藉料 金二〇〇〇万円

弁護士費用 金二〇〇万円

(一〇) 原告古賀

慰藉料 金一五〇〇万円

弁護士費用 金一五〇万円

(一一) 原告横山

慰藉料 金三〇〇万円

弁護士費用 金三〇万円

(一二) 亡米田

慰藉料 金二〇〇〇万円

弁護士費用 金二〇〇万円

(一三) 原告向井

慰藉料 金三〇〇万円

弁護士費用 金三〇万円

(一四) 原告松浦

慰藉料 金三〇〇万円

弁護士費用 金三〇万円

(一五) 亡浜田

慰藉料 金二〇〇〇万円

弁護士費用 金二〇〇万円

6  よって、原告らは被告に対し、それぞれ前記損害額とこれらに対する各本件訴状送達の日の翌日から支払ずみまで民法所定率の年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める。

二  答弁

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実中、被告西宮工場における黒鉛電極製造工程が別紙工程図のとおりであること、その原料が原告ら主張のとおりであること、原告ら主張の各工程で、タール、ピッチの微粉末の粉じんがある程度たち、加熱された石油コークス、ピッチからタール分が気化することは認める(いずれもその程度は争う。)が、労働衛生上極めて問題の多い劣悪な作業環境であったとの主張は争う。

(粉砕工場)

旧工場においては原料を手押車で搬送していたので発じんがあったが、被告は昭和三八年に従来の平家建の工場を三階建の新工場に改築し、同三九年から稼動を開始した。これは原料を三階のタンクに貯蔵し、従業員との接触の防止を図った防じん対策であった。貯蔵前のエアーハンマーで粗砕された原料はコンベアでジョークラッシャーに搬送され細砕されるわけであるが、各コンベアは密閉化されており、原料搬送の過程での発じんは絶無であった。さらに、昭和四〇年にはこの設備に集じん機を直結させたり、フードを設ける等して、粉じんの捕集、漏洩防止を図った。

(ねつ合・成形工場)

昭和三九年に従来の開放型ねつ合機を廃し、リボン型密閉式ブレンダーを設置してからは、工場内の空気は飛躍的に改善された。リボン型ブレンダーで加熱攪拌時の蒸気等は(攪拌の段階では粘土状であって粉じんは発生しない。)天井部に舞い上がり、換気扇から屋外に排出される。ねつ合された原料はコンベアで冷却台に搬送され、リモコン操作で機械的に押し拡げられ冷却後成形される。ねつ合工場では従業員の稼働位置よりもブレンダーから発生する蒸気の位置の方が高く、従業員のガス等吸入はありえない。

(加工工場)

現在はサンドストランド加工機による加工作業のオートメ化により、従業員は加工機に触れることなく加工作業を行なう。また、従前の旋盤においても、削粉を直ちに蛇腹式の集じん機で捕集できる様に集じん機の改良に努力し、その結果、粉じんの発生がほとんどみられなかった。加工工場では特に集じん装置に配慮し、削粉の発生個所においてこれを直ちに捕集しうるよう局所捕集の集じん機はもちろん、排気のための集じん装置も設置し、粉じんの飛散を防止した。

(二) 請求原因2(二)の事実中、タール、ピッチの吸引によって一般的にじん肺を惹起し、心肺機能を低下させること、タール分が皮膚等に接触し皮膚を透過することにより原告ら主張のタール皮膚症を惹起すること、ベンツピレンが発癌物質であることは認めるが、その余は否認する。

被告における作業環境と原告らの罹病及び発生した損害との間には相当因果関係が存在しない。すなわち、皮膚障害についていえば、タール皮膚症を惹起するためには、タール分が或程度皮膚を透過することが必要であり、それが化学的刺激を皮下組織に与えてはじめて色素沈着を起し、その後皮膚に日光照射を受けて日光過敏症が生ずる。皮膚には生理学上自然に具備された透過阻止機能が存在してそれが働くから、原告らが後述の被告支給の薬品を就労前に塗布し、就労直後によく洗滌すれば、タール分は皮膚表面から除去されて皮膚を透過するはずのものではない。また、被告の多くの従業員にはこれまで格別かかる皮膚障害が発生しなかったのに、原告らについてのみ皮膚障害が発生するということは、原告ら自身の遺伝的素因である特異的な皮膚体質、すなわち易経皮透過性や後記の後発的素因なかでも社会歴および病歴によるものである。

なお、じん肺管理区分一は、粉じん作業に従事する全ての者が健康管理区分上出発する第一段階であって、じん肺に罹っていない者をも含み、疾病としてのじん肺ではない。

3  請求原因3について

(一) 原告枦山

(1) 同原告が昭和四〇年四月から休職する同四八年七月まで加工工場で就労したことは認める。

(2) 同原告が同四三年八月にじん肺管理区分二、同四八年七月にじん肺管理区分四と認定されたこと、目下通院中であることは認めるがその余は否認する。なお、同四六年六月にはじん肺管理区分一となっていた。

(3) 同原告は被告に入社する前の同二五年五月から同三六年一〇月までの約一一年間を長崎県の大島鉱業所において採炭夫として就労していたものであって、昭和四〇年五月一八日には既にじん肺管理区分一を疑わせる粒状影が現われていたこと、同三四年ころから疲労すると頭痛あり、同四〇年入社後も頭痛にて月三、四回休み治療を受けていたこと、同四六年六月にはじん肺管理区分一と回復していること等から、同原告の罹患は大島鉱業所時代のものである。或いは、入社当初からじん肺症状を保有する脆弱な特異体質を有する者であったのであり、同原告の前記じん肺は右原因にもよるものである。

(二) 原告藤井

(1) 同原告が昭和一九年三月から同三九年一一月までねつ合・成形作業に従事し、同四〇年から同四二年三月まで浴場係として勤務したことは認める。同月一五日停年退職し、同月二三日嘱託として再入社し厚生係、清掃係として稼働、同四六年五月から同年九月まで心肥大心筋障害及び肝機能障害のため休職した後再び厚生係に復職し、同五〇年三月嘱託の再雇用の最終期限が到来したため退職した。

(2) 同原告が皮膚障害を罹病したこと、その主張のころ入院加療し、現在休業加療中であることは認め、その余は不知。同四〇年にじん肺管理区分一とされているが、同四六年三月ころには全治している。

(3) 同原告は、就労による身体の汚れを洗うこともなく、就労中も被告支給のマスクを着用しないばかりか保護クリームも塗らなかった。しかも、同原告は高令のため心臓病、肝臓病を患っており、その典型的症状が残存している。

(三) 原告阪田

(1) 同原告が昭和二三年七月から粉砕工場で就労し、同四九年一月に退職したことは認める。

(2) 同原告に皮膚障害があることは認めるが、初期症状で一〇日間の休業補償を受けて治療した軽度のものであった。同四四年四月にじん肺管理区分一、同四九年にじん肺管理区分二の診断を受けているが、それは軽度の心肺機能の障害症状があるとされたものであって、単に要注意といいうるものにすぎない。

(四) 原告藁

(1) 同原告が昭和二三年一〇月に入社し、その主張の各期間、ねつ合・成形工場及び加工工場で就業していたことは認める。

(2) 同原告が同四八年七月にタール・ピッチによる皮膚障害により休業加療したことはあるが、その症状は一か月間の休業補償を受けて治療した程度の軽微なものであった。同五〇年ころからは異常な所見はなくて既に軽快している。

(五) 原告西野

(1) 同原告が昭和二一年六月から同四九年四月に退職するまで原料粉砕の作業に従業していたことは認める。

(2) 同原告は、同四八年六月タール・ピッチによる皮膚症と診断されたが、悪化することなく治癒した。同四六年四月まではじん肺管理区分一であった。同四九年八月ころのじん肺管理区分一で、兵庫県労働基準局認定のじん肺管理区分は二である。

(3) 同原告は生来ぜん息の持病があり、じん肺の前記症状は右ぜん息にもよっている。

(六) 原告篠原

(1) 同原告が昭和三七年一月に入社し、同四九年七月までねつ合・成形作業に従事し、以後は被告会社福知山工場の黒鉛化工場で就労していることは認める。

(2) 同原告が同四八年七月、タール・ピッチによる皮膚障害として手術を受けたことは認めるが、同五〇年からは全く異常所見が認められない。現在の皮膚障害はわずかに軽度の色素沈着が認められるだけである。

(七) 原告金谷

(1) 同原告が昭和一四年六月に入社し、同二〇年八月に退職した後、同二二年六月に再び入社し、その前後を通じて加工工場で就労したこと、同四二年三月厚生係に配転され、同四五年に退職したことは認める。ただし、同四三年三月停年退職し、以後は嘱託として再入社していた。

(2) 同原告が同四〇年にレントゲン写真の所見により職場転換をするよう医務室からいわれ、同四四年七月じん肺管理区分四の診断を受け、同年八月から同四七年八月まで入院し、その後、現在に至るまで通院加療していることは認める。同原告は同四一年にじん肺管理区分一、同四三年にじん肺管理区分二となったが、同四二年には厚生係として配転をうけていたのであるから、その後にじん肺症状が亢進する筈はない。

(3) 同原告は、就労中マスクを着用しないばかりか、保護クリームを塗らなかった。しかも、同原告は、終戦直後の診断により肺浸潤の疑いがあったもので、右じん肺の症状はそれによっても生じている。

(八) 原告山内

(1) 同原告が昭和一三年四月入社し(途中同一八年六月から同二一年六月までの兵役を除き)、以後同四三年七月退職するまで加工工場に勤務したことは認める。ただし、同原告は、同二一年七月から加工係、同二五年三月から加工班長、同年一二月から加工係副長、同三一年五月から加工係作業長として勤務し、現場勤務は僅少で、同三二年以降はほとんど切削等の現場作業をしていない(一か月に約五時間位の切削作業をしていたに過ぎない。)。

(2) 同原告は、同四二年には、じん肺管理区分二であった。退社後の症状は全く知らない。

(3) 同原告は、煙草を一日二〇本吸飲しており、同四二年高血圧で欠勤し、その翌年高血圧で休職したことがあり、いわゆる成人病というべきであり、前記じん肺の症状はこれらにもよっている。

(九) 原告井上

(1) 同原告が、昭和二二年七月一〇日入社し、同四三年三月一五日に退職するまで加工工場で就労したことは認める。

(2) 同原告は、同四一年四月二一日にじん肺管理区分一と認定されたが同年九月には肺結核となったためじん肺管理区分四となったもので、その主張の症状は争う。

(3) 同原告は、過労により肺結核となったもので、他に高血圧のほか心臓肥大があり、前記じん肺の症状はこれらにもよっている。

(一〇) 原告古賀

(1) 同原告が昭和三六年三月二六日に入社し、成形工場で、同四一年三月から焼成工場で就労し、同四七年一〇月一三日売店係に配転となり、同四八年八月一五日退職したことは認める。

(2) 同原告は、同四一年、同四四年四月、同四六年四月といずれもじん肺管理区分一で、同四七年九月じん肺管理区分三となったので配転し、同四八年二月にはじん肺管理区分二となっている。年に一、二回通院する程度で大した症状ではない。

(3) 同原告は、被告に入社する前の同一七年一一月から同三六年三月まで佐賀県の新屋敷鉱業所で坑内掘進夫等として稼働していたものであり、被告に入社後は成形工場という粉じんのない職場或いは制御室で熱管理を行なう焼成工場と、およそ粉じんと関係のない工場にいたのであるから、同原告の前記じん肺の症状は被告工場の原因によって生じたものではない。

(一一) 原告横山

(1) 同原告が昭和二六年三月入社し、同四九年三月退職するまで粉砕工場で就労したことは認める。ただし、同四六年九月停年退職したうえ嘱託として再入社した。

(2) 同原告が同五〇年にじん肺管理区分一になったことは認めるが、じん肺管理区分一はじん肺疾病ではない。皮膚障害等その余の事実は不知。

(3) 同原告は、就労中マスクをかけないばかりか保護クリームも塗布することなく、就労後も顔も洗わなかったので、その主張の皮膚障害はこれにもよっている。

(一二) 亡米田

(1) 亡米田が昭和二一年四月に入社し、同四九年四月三〇日退職するまで粉砕工場で就労したことは認める。ただし、同四三年九月一五日停年退職したうえ嘱託として再入社した。

亡米田は、同三〇年九月七日に班長、同三四年七月二二日から副長となり、仕事の段取りをのみしていたのであるから粉じんを被る虞れのある作業は寡少であった。

(2) 同四四年四月及び退職時のじん肺管理区分が二であったことは認めるが、退職後の症状は不知。

(3) 亡米田は、じん肺のみでなく、高齢による高血圧、座骨神経痛のせいもあって休業加療中であったのであり、同原告の前記じん肺の症状はこれらにもよっている。

(一三) 原告向井

(1) 同原告が昭和二一年五月に入社し、当初は機械修理工として同二五年四月から同三八年三月までは加工工場で、同年四月からは焼成工場で就業し、同四三年九月二二日退社したことは認める。

(2) 同四三年四月にじん肺管理区分二となったことは認めるが、その余は否認する。なお、同人のじん肺管理区分は一である。

(3) 同原告は、高血圧、リューマチ、脳軟化症等の典型的な成人病であり、同原告の前記じん肺の症状はこれらにもよっている。

(一四) 原告松浦

(1) 同原告が昭和一二年一二月入社し、同四四年五月退社し、ねつ合・成形で就労したことは認めるが、同原告は同二三年に作業長となってからはほとんど現場作業をしていない。

(2) その皮膚障害、じん肺に関する主張は否認する。同原告のじん肺(じん肺管理区分一)、皮膚障害はいずれも軽度であり、皮膚障害は完全に治癒している。

(3) 同原告は脳動脈硬化症で同四二年一一月一二日から三週間ないし一か月間欠勤のうえ遂に退社し入院しているが、同原告の前記じん肺の症状はこれにもよっている。

(一五) 亡浜田

(1) 亡浜田が昭和一二年に入社し、同三六年浴場係に配転されるまで粉砕工場にて就労し、同四〇年一〇月四日退社したことは認める。

(2) 亡浜田は、昭和三六年八月にじん肺管理区分三と認定されたことはあるが、その余の症状は争う。

(3) 亡浜田は、胆のうに障害があり、肝硬変により死亡したものであり、前記じん肺の症状はこれにもよっている。

(4) 亡浜田は昭和四〇年一〇月四日に退職しているのであるから、仮に被告に債務不履行があるとしても、右債務不履行に基づく損害賠償請求権は昭和五〇年一〇月三日に時効により消滅したものであり、不法行為に基づく損害賠償請求権も昭和四三年一〇月三日時効により消滅したものであるところ、被告は昭和五四年三月一日の本訴口頭弁論期日において右時効を援用した。

4  請求原因4の事実は争う。

(一) 被告は、前記のとおり、各工場において発じんを防止し、かつ飛散、接触を防止するため、種々設備を改良、改善し、集じん機の完備に尽力してきたのであるが、さらに従業員各自に対し、保健衛生上なすべき事項として次のとおりの安全保護措置を講じてきた。したがって、被告にはその責に帰すべき事由はない。

(防じんマスク)

被告は、昭和三〇年ころからマスクを支給し、それも順次改良を重ねて粉じん吸入の防止の点から捕集率九八パーセントというものを支給していた。粉じんの吸引によりじん肺症状を生ずることがあるも、防じんガスマスクの着用によって、その九〇ないし九九パーセントを防御しうる。マスクは要求があるときは必らず支給し、その下のガーゼはふんだんに支給していたが、従業員の健康自覚の欠如ないし希薄さから指導のとおりに遵守しない者がいた。

(保護クリーム)

被告は、かねてから安全衛生管理室を設け、従業員の皮膚障害の予防及び治療についていろいろと腐心し、昭和四一年以来研究を重ね、その予防措置として出来うる限りのことをつくした。すなわち、皮膚障害の予防と治療について各種会社および大学に照会、訪問、調査を重ね、その結果、予防薬の使用については、次のとおりの結論に達した。

1  予防薬はフィッサンペーストのみを使用すること。

2  洗顔には皮膚を刺激しない上質石鹸を用いること。

3  作業中にさらに一度洗顔し、冶予防薬を塗布し直すこと。

そこで、右を従業員らに確実に実施させる為に、

1  予防薬を医務室に常備し、必要に広じて小罐に分けて各自に携行させること、

2  粉砕、成形、含浸の各作業に従事する従業員に対しては特に上質石鹸を支給すること、

3  昼食休憩時を利用して温湯による洗顔実施のために浴場設備を利用させること、

とした。そして、従業員に対し、次の如く通達して協力を求めた。

1  作業前にはフィッサンペーストを塗布すること。

2  昼の休憩時には浴場で温湯で洗顔し、右予防薬を塗布し直すこと。

3  入浴後はオイラックスHを皮膚面によくのばしてすりこむこと。

4  洗顔には上質石鹸を用いること。

ところが、右によっても従業員が洗顔を怠りがちな実情にあったので、被告は昭和四六年一月九日に洗顔時間と称する時間を設けて、皮膚障害の防止につとめた。

(二) 原告らは、これら被告の示した種々の予防措置を積極的に遵守すべき就労上の義務を怠り、前述のように右指示を遵守せず自ら発病を招いた。よって、原告らに過失があるので、予備的に過失相殺を主張する。

5  請求原因5の事実は争う。

原告らの前記職業上の疾病については、労働者災害補償保険法に基づき補償せられるのであるから、被告は労働基準法八四条により本件損害賠償についてその責を免れるものである。

三  被告の抗弁に対する答弁

被告の各抗弁事実は争う。

1  損害賠償請求権の消滅時効が進行するためには、被害者が損害を知ることを要するが、本件の如き職業病による被害のように徐々に症状が悪化してゆく場合には、死亡という損害を明確にする事実が発生しない限り、被害者は損害を知ることはできない。亡浜田は昭和四七年七月一八日死亡したので、債務不履行に基づく損害賠償請求権につき、原告浜田は翌一九日はじめてその損害を知ったものである。また、不法行為に基づく損害賠償請求権については、原告浜田は本訴提起の直前にその損害を知ったのである。

2  被告が消滅時効を援用することは権利の濫用として許さるべきでない。すなわち、被告は、自らの本件不法行為を隠蔽し、被害の拡大をもたらし、医師の診察さえ脅迫してやめさせ、職業病問題を追及しようとする労働組合を破壊し、職業病問題をとりあげた被告従業員で合化労連昭和電極労働組合の執行委員井上広三郎の不当解雇まで行ない、原告らの請求を抑圧してきた。このような不法、不当な賠償請求の妨害行為により若干その請求の提訴が遅れたからといって、消滅時効の援用は認めらるべきではない。

第三証拠《省略》

理由

第一当事者

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

第二被告各工場の作業環境

一  被告会社における黒鉛電極製造工程が別紙工程図のとおりであることは当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。

1  粉砕工場

粉砕工場は、石油コークス、還元原料等の主原料を、エアハンマーで粗砕し、次いでハンマークラッシャーで細かく粉砕し、振動ふるい機で粒度別に選別し、レーモンドミルでさらに細かく粉砕し、配合機(秤量機)に入れられ、副原料のピッチ、タールも、ピッチは粉砕したうえ、いずれも配合機で混合されることが工程となっていた。

昭和三九年ころ新設された工場(以下「新工場」という。)が動き始める以前の粉砕工場(以下「旧工場」という。)においては、各機械が密閉化されてなく、これらが作動すると粉砕に伴って生じる粉じんが同工場内にたちこめ、右粉砕された原料を各機械に運搬する作業や細粉を粉袋に入れる作業によっても粉じんが生じ、数メートル先も見えない状態を呈することもあった。同工場の従業員は、いかなる作業を担当する者も右粉じんを全身に浴びて顔や手は真黒になり、同三二年ころマスクが支給されるまでは、布片や手拭などで口や鼻を覆う方法をとっていたが、マスクも当初はスポンジとガーゼから成っていたもので、三〇分ないし一時間も労働すると息苦しくなって一時外さざるをえず、また、マスクをかけることが励行されなかったりして、粉じんを多かれ少なかれ吸引せざるをえなかった。

同三九年新工場になり、粉砕系列にジョークラッシャーを設置し、粉砕系列および配合装置の自動化、密閉化が加えられ、振動ふるい機も密閉化され、コンベヤーを設置して密閉したケース内で原料の輸送をし、集じん機が昭和四〇年ころと同四六年ころに設置され、同四八年にはピッチ配合ショベルカーによりピッチ配合がなされ、従前の手配合が改善された。しかし、エアハンマーは密閉がないため粉砕時に粉じんが生じ、ハンマークラッシャーは密閉して粉砕がなされるが、原料を人力により入れるとき、機械により出すときにいずれも粉じんがたち、また、配合機は、自動化が終らないところがあり、貯蔵タンクから原料を手押車により運搬して入れることが行われ、さらに、粉砕されたピッチが手押車により運搬されて入れられるため、その際にいずれも粉じんがたっていた。しかも、ピッチは、それより前に外部から粉砕工場に運ばれてまた別に粉砕機にかけるが、その過程で粉じんが生じ、粉砕したピッチを積上げるときにも粉じんが舞上がっていた。密閉化された機械や装置についても、非常に細かい粉じんはその隙間や継目から洩れて工場内を浮遊していた。しかも、増産態勢がとられたので粉じんの度合は加速された。集じん機は、同四〇年ころ同工場西側に一台、同四六年ころ同工場東側に一台とりつけられ、機械のところに集じん機の吸込口があったが、各集じん機を全開すると、大気中に排出された粉じんが同工場周辺の団地に対する公害となり、その苦情があるため、会社が集じん機を全開しないこともあって、右集じん機は同工場内の粉じんの発生を防止する効果はなかった。同工場の従業員は、粉じんに暴露されてこれを吸引することとなり、昭和四二年ころからフィルタックマスクが支給されたが、作業中に息苦しくなるため、一時これを外したり、マスクをかけることが励行されなかったりして、粉じんを吸引せざるをえなかった。

同工場の右のような状態につき、西宮労働基準監督署は、同四一年三月二三日付で被告に対し、労働基準法四二条に違反するものとして、粉砕工場の吸引排出装置を適当な能力を備えたものに同月末日まで是正するように勧告した。また、被告は、同四八年六月訴外近畿安全衛生サービスセンターに被告工場の環境測定を依頼したが、粉砕工場においては、労働省の「じん肺性粉じんの抑制目標」五mg/m3を上回る気中粉じん濃度の平均測定値として、石油コークスの積込運搬作業中の測定位置が三八・五七二mg/m3、生環元原料粉砕作業中の測定位置が二二・〇二三mg/m3、ピッチ配合作業中の測定位置が五・二九二mg/m3を示し、また、気中タール濃度の平均測定値は労働省通達(基発四〇八号、昭和四八年七月一二日)による「コールタールの蒸気または粉じんの濃度」〇・二mg/m3を各測定位置で上回っていた。次に、昭和四九年三月一二日の証拠保全(検証)時に鑑定人中南元による測定では、コンベヤーに原料投入作業中の測定位置については、気中粉じん濃度が一九mg/m3、気中タール濃度が一・八二mg/m3、配合機によるホッパーへの原料投入作業中の測定位置については、気中粉じん濃度が二・八mg/m3、気中タール濃度が〇・八四三mg/m3であることを示し、また、気中のベンツピレン濃度は、コンベヤ稼動中の位置で一〇μg/m3、ホッパー原料投入中の位置で七・五μg/m3を示し、同業他社の右ベンツピレン濃度よりはるかに高いことが測定された。

2  ねつ合・成形工場

ねつ合は、主原料と副原料を配合したものを、ねつ合機の中に投入し、電熱で加熱して粘土状のねつ合物をつくるものであり、成形は、右ねつ合物を冷却台の上で冷したうえ、これを成形機で棒状に成形してこれを押し出すことが工程となっていた。

旧工場においては、ねつ合機が開放型であり原料を上から投入するとき粉じんがもうもうと舞上り、加熱されるとともに蒸気やガスが発生し、次いで、ねつ合物につき、従業員がそのでき具合を調べたうえ道具を用いてねつ合物を取り出し、冷却台の上にねつ合物を押し拡げて扇風機で冷却し、これをまた成形機に運搬する作業をしたが、そのいずれの場合も蒸気やガスが吹き出し、タール分が気化して高濃度の三・四ベンツピレンが同工場の空気を汚染した。同工場の従業員は、右粉じん、蒸気、ガスを顔や手足に浴びながら作業に従事し、布片や手拭などで口や鼻を覆う方法をとっていた。マスクの支給やその使用状況は粉砕旧工場と同様であった。

同三九年新工場になってからねつ合機がリボン型密閉式ブレンダーに改められ、同四三年ころ冷却台を傾動式に改造し、同四六年ころ運搬の自動化がなされ、同四八年ころ集じん機が設置されたが、ねつ合機が密閉型のものでも蓋が開いて自動的にねつ合物が出て後は蒸気、ガスが吹き出すことに変りなく、ねつ合機内に残留したねつ合物は人力で取り出すほかなく、その際も蒸気、ガスが溢れ出し、ねつ合物がコンベヤーで冷却台上に運ばれて後に作業員が冷却台上でこれを押し拡げる際、ガス、蒸気が発生することは旧工場と変らなかった。そのうえ、増産態勢がとられたので粉じん、蒸気等の度合は加速された。旧工場時代に設置されていた湿式集じん機はリボン型密閉式ブレンダーになってからは使用されておらず、新工場になってからも昭和四八年ころ成形工場の北側に一台集じん機が設置され、前記ガスを捕集していた。そして、マスクの支給および使用状況は粉砕新工場の場合と同様であった。以上のとおりであって同工場の従業員は粉じん、ガス、蒸気を浴びたり吸引することを避けえなかった。前示近畿安全衛生サービスセンターの環境測定結果では、ねつ合・成形工場においては、労働省の「じん肺性粉じんの抑制目標」五mg/m3を上回る気中粉じん濃度の平均測定値として、原料投入作業中の測定位置が一九・四七五mg/m3と二一・三〇九mg/m3を示し、また、気中タール濃度の平均測定値は労働省通達による「コールタールの蒸気または粉じんの濃度」〇・二mg/m3を各測定位置で上回っていた。前示証拠保全(検証)時の鑑定人中南元による測定では、ねつ合機稼動中の測定位置では二九mg/m3、二・四mg/m3、一一九mg/m3、気中タール濃度が三・六九mg/m3、〇・六八四mg/m3、一六・八mg/m3であることを示し、また、気中のベンツピレン濃度は、ねつ合機稼動中の測定位置で二四μg/m3、ねつ合機冷却作業中の測定位置で四・四μg/m3、を示し、同業他社の右ベンツピレン濃度よりはるか高いことが測定された。

3  加工工場

加工は、前記ねつ合・成形に次ぐ焼成・黒鉛化の工程を経て後になされるもので、黒鉛化炉から取り出された黒鉛半製品を加工機(旋盤)にかけて外形を削り、その両端に螺子を切ることがその工程であった。

昭和三八年改築前の旧工場においては、先ず、黒鉛化工場から送られてきた黒鉛半製品の周囲についたコークスの滓をスコッブでかき落す作業(通称「けれん作業」といわれる。)が行われるが、そのときに粉じんがもうもうと舞上って同工場内にたちこめ、ひどいときは数メートル先の人も判別できないほどであり、また、旋盤にかけて右半製品の外形を削り、次いでペーパーをあててこすり、その両端に螺子を切る作業もするが、おびただしい量の粉じんが舞上って同工場内に堆積または浮遊し、従業員は、右各作業の性質上正確な加工が要求されるため、粉じんを直接受けて顔、首、手足が真黒になって作業することが多かった。しかも旧工場時代には集じん機、換気装置が設けられておらず、右粉じんの沈下等にまかせるほかなかった。そして、マスクの支給および使用状況は粉砕旧工場におけると同様であった。

同三八年新工場になり、サンドストランド製自動加工機が設置され、電極素材を自動的に加工機に搬入して搬出できるようにし、前記「けれん作業」のためにその作業室をつくったが、その余の機械や作業方法には格別な変化がなかった。しかも、増産態勢がとられたため、粉じんの度合は加速された。同三八年ころ集じん機二台がはじめて設置されたが、集じん能力が小さく、各加工機にある吸口付近の限られた粉じんしか集じんしないため、その効果があがらなかった。次いで、同四〇年、同四一年ころ集じん機がさらに増設されたが、加工機付近に設けられた吸口付近の限られた粉じんしか集じんせず、期待どおりの効果はなかった。マスクの支給および使用状況は粉砕新工場の場合と同様であった。以上のとおりであって、同工場の従業員は粉じんを浴びこれを吸引せざるをえなかった。前示近畿安全衛生サービスセンターの環境測定結果によると加工工場においては、労働省の「じん肺性粉じんの抑制目標」五mg/m3を上回る気中粉じん濃度の平均測定値として、外径加工作業中の測定位置が五・一九七mg/m3、ブリーズ払取作業中の測定位置が七・四八二mg/m3と三〇・五〇一mg/m3を示していた。

以上1ないし3のとおり認めることができ、右認定に反する《証拠省略》は、前掲各証拠に照らすと、作業環境の実態に合致しないもので措信することができない。もっとも、《証拠省略》によれば、前叙のように、近畿安全衛生サービスセンターによる被告各工場の環境測定結果では、気中粉じん濃度が前示抑制目標値を下回る作業場があることが認められるけれども、《証拠省略》によれば、右測定はその当日工場内の一部作業を中止するとか、早期に打切るとか、原料に水をまくとか、工場の床に散水するなどの条件次第により、測定値が低くでるものであること、それらをいかにするかは測定当日の被告工場側の任意の決定にまかされていたことが認められるから、前記抑制目標値より低い測定結果も右条件次第では変動があるものであって、前記1ないし3の粉じんの発生状況の認定を左右するものではない。

第三職業病の発生

一  タール、ピッチの粉じんの吸引によって一般的にじん肺を惹起し、心肺機能を低下させること、タール分が皮膚等に接触し、皮膚を透過することにより原告ら主張のタール皮膚症を惹起することタール分に含まれるベンツピレンが発癌物質であることは当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められる。

1  被告の各工場で生じた前記粉じんは、コールタール分を含有し、これを吸引すると、途中の気管支粘膜に付着したり、また、肺胞内に到達したものも喀痰として排泄されるが、吸入量が多いと、肺胞内に沈着して肺胞内の線維化や、肺間質にとりこまれて線維化し、細胞繁殖を起して肺胞面績が減少してくる。この肺の線維増殖症がじん肺であり、じん肺に罹病すれば、肺胞が破壊されて肺機能が低下し、合併症として肺結核を併発しやすく、他に気管支炎、場合によっては肺癌も発生することがある。

また、被告工場はタールやピッチを使用し、前記粉じん、蒸気にはコールタール分が含有されているが、これら物質と接触する作業者は、日光の直射を受けると裸出皮膚特に顔面に光線皮膚炎の症状を呈し、刺痛や灼熱感を伴ったりするが、長期間にわたりタールやピッチに暴露していると、作業者の頸部、胸部、上肢、手背などに皮膚の乾燥、角化、色素沈着、毛細血管拡張斑(ガス斑)などが混在して皮膚異常(ボイキロデルマ)の所見を呈し、このような皮膚には面皰、瘡、疣贅などの増殖性病変や小瘢痕をみることが多くなる。すなわち、タール物質は、毛孔から皮脂に溶解して侵入し、皮脂線の増殖刺激をきたし、このようにして面皰、瘡を形成し、粉瘤の形成をも伴い、同時に黒皮症が次第に顕著になる。病変が進むと、顔面、頸部、肩、胸その他に粉瘤、疣贅を認め、扁平疣贅、尋常性疣贅、軟乳頭腫、上皮腫などが多発し易くなり、さらに長期にわたり暴露されると、皮膚癌発生の危険がある。

2  原告らの職業病

イ 原告枦山(大正九年二月四日生)

同原告は、昭和四〇年四月被告会社に入社し、同四八年七月休職するまでの間、加工工場で就業し(以上の事実は争いがない。)、同五〇年三月一五日被告会社を退職した。右在職中、同原告は、加工作業に従事したが、同工場内の粉じんに暴露されてこれを吸引したことにより、頭痛や手足のだるさを感ずるようになって体調が悪くなり、昭和四三年一一月じん肺管理区分二と診断され(右管理区分診断の事実は争いがない。)、その後咳や痰も出るようになって就業しながら通院して治療を受けていたところ、昭和四八年七月じん肺管理区分四と認定され(右管理区分認定の事実は争いがない。)、同年九月入院し、その後通院治療を続けている。現在も咳、痰などがひどく、就職はできない状態で加療中である。

ロ 原告藤井(明治四四年一二月三〇日生)

同原告は、昭和一九年三月被告会社に入社し、以後同三九年一一月までの間、ねつ合・成形工場で就業し、同四〇年から同四二年三月まで浴場係として勤務し(以上の事実は争いがない。)、同月停年退職して嘱託とし再入社し、厚生係、清掃係をしていたが、同五〇年三月退職した。右ねつ合・成形の作業に従事中、同原告は、同工場内の粉じん、蒸気、ガスに暴露されこれを吸引したことにより、次第に皮膚障害に侵され、同四三年ころから体の調子が悪く動悸、息切れがし、同四六年一一月から入院加療を受け、同四九年六月から現在まで休業加療しているが(入院加療したことおよび現在休業加療中であることは争いがない。)、その間、同四九年七月一五日タール・ピッチによる高度の皮膚障害(日光過敏症、色素沈着、ポイキロデルマ、疣贅様皮疹、瘡、ガス斑)と診断され(皮膚障害に罹ったことは争いがない。)、同年八月五日のじん肺診断でレントゲン所見はじん肺一型、心肺機能検査では中等度障害があるとされた。現在皮膚障害は殆ど治っておらず、体調もよくないことと高令のため就職できない状態である。

ハ 原告阪田(昭和二年一一月二一日生)

同原告は、昭和二三年七月被告会社に入社し、以後同四九年一月退職するまでの間、粉砕工場で就業した(以上の事実は争いがない。)、右粉砕作業に従事中、同原告は、同工場内の粉じんに暴露されてこれを吸引したことにより、入社後間もなく皮膚障害に侵され、また、同三四年ころから体の調子が悪くなったが、同四八年五月一二日タール・ピッチによる皮膚障害(日光過敏症、露出部のポイキロデルマ、疣贅様皮疹、瘡、毛のう炎)と診断され(皮膚障害に罹ったことは争いがない。)、同四八年一〇月一五日のじん肺診断で、レントゲン所見はじん肺一型進行のおそれのない不活動性の結核があり、心肺機能検査は中等度障害があるとされ、同四九年ころじん肺管理区分二と認定された(右管理区分二の認定を受けたことは争いがない。)。現在皮膚障害はそのままであり、息切れするなど体調はよくないが、ガソリンスタンドに勤務している。

ニ 原告藁(大正九年八月一三日生)

同原告は、昭和二三年一〇月被告会社に入社し、以後同四八年八月までの間、ねつ合・成形工場で、同月から同四九年三月までの間、加工工場で就業し(以上の事実は争いがない。)、同月から浴場掃除の係に、工場が福知山に移転後は発送の係に各配転となった。同原告は、右ねつ合・成形作業に従事中、同工場内の粉じん、蒸気、ガスに、加工作業に従事中は同工場内の粉じんに暴露されたことにより、入社後次第に皮膚障害の症状が出はじめ、新工場になってからその症状が進み、同四八年四月二一日タール・ピッチによる高度の皮膚障害(日光過敏症、色素沈着、雀卵斑様色素斑、ガス斑、疣贅様皮疹、脱色素斑、ポイキロデルマ)であると診断され(皮膚障害に罹ったことは争いがない。)、ピッチ疣を切除手術したところ、癌性の変化が一部認められ、その後同五一年一二月ころ腕の疣贅様発疹を切除手術して病理組織検査をした結果、有棘細胞癌であることが判明した。現在被告会社に勤務しながら通院して皮膚障害の治療を受け、また、被告会社の健康診断を受けているが、黒皮症、疣、粉瘤、ガス斑等の症状があって治らないまま続いている。

ホ 原告西野(大正九年二月一二日生)

同原告は、昭和二一年六月被告会社に入社し、以後同四九年四月退職するまでの間、粉砕工場で就労した(以上の事実は争いがない。)、右粉砕作業に従事中、同原告は、同工場内の粉じんに暴露されてこれを吸引したことにより、入社後間もなく皮膚障害の症状が出て、次いで入社後四、五年ころから風邪をひき易く、咳、痰がひどくなってきて体調が悪く、同四八年五月タール・ピッチによる皮膚障害(露出部の黒皮症、頸部および前腕の慢性タール皮膚症、手背、頸部の疣贅状皮疹、ガス斑、白斑)と診断され(皮膚障害に罹ったことは争いがない。)、同年八月一二日のじん肺診断で、レントゲン所見はじん肺一型、心肺機能検査では中等度障害があるとされ、次いで、同五一年一二月六日の肺機能検査で高度障害とされ、じん肺管理区分四相当の症状であった。現在皮膚障害はそのままであり、じん肺の症状は好転することなく通院しているが、退職後は定職なく網戸張りの内職をしている。

ヘ 原告篠原(大正一一年一一月一八日生)

同原告は、昭和三七年一月被告会社に入社し、以後同四九年七月までの間、ねつ合・成形工場で就業し、同月以降は被告会社福知山工場の黒鉛化工場に勤務している(以上の事実は争いがない。)右ねつ合・成形作業に従事中、同原告は、同工場内の粉じん、蒸気、ガスに暴露されたことにより、入社後次第に皮膚障害に侵され、昭和四八年七月一〇日タール・ピッチによる皮膚障害(顔面、前胸部、腕などの露出部に、びまん性色素沈着、扁平疣贅様皮疹多数、顔面、耳後部に黒色面疱、前胸部にポイキロデルマ、大腿に尋常性疣贅様結節、左前腕にピッチ・アカントーマ)と診断され、前腕部のピッチ・アカントーマの切除手術を受け(皮膚障害に罹り、切除手術を受けたことは争いがない。)、病理組織検査を受けたところ、癌性の変化が認められた。現在被告会社に勤務しながら右皮膚障害の治療を受け、被告会社の健康診断を受けているが、赤色斑、瘡、黒皮症、粉瘤等の症状があって、治らないままである。

ト 原告金谷(大正二年三月七日生)

同原告は、昭和一四年六月被告会社に入社し(同二〇年八月から同二二年六月まで退職したが、同二二年六月再入社した。)、以後同四二年三月までの間、加工工場で就業し、同月厚生係に配転され、同四五年三月退職した(以上の事実は争いがない。)。ただし、同四三年三月停年退職し、以後は嘱託として再入社していた。右加工作業に従事中、同原告は、同工場内の粉じんに暴露されてこれを吸引したことにより、同四〇年ころの健康診断でレントゲン所見に異常があり、医務室から職場転換をするよういわれ、同四一年じん肺管理区分一、同四三年じん肺管理区分二となり同四四年七月じん肺管理区分四の認定を受け、同年八月から同四七年八月まで入院してその治療を受け、その後現在まで通院してその加療を受けている(同四〇年以後の右経過は争いがない。)。現在風邪をひき易く痰が出るなどの症状が続いており、右病気と治療のため就職することもできない状態である。

チ 原告山内(大正六年七月一二日生)

同原告は、昭和一三年四月被告会社に入社し(同一八年六月から同二一年六月までの兵役を除き)、以後同四三年七月退職するまでの間、加工工場で勤務した(以上の事実は争いがない。)。右在職中、同原告は、加工係から加工班長、同副長となり、同三一年ころから加工係作業長をしていたが、作業長になってからも加工の現場作業から離れたわけではなく、右加工作業に従事中、同工場内の粉じんに暴露されてこれを吸引したことにより、同四〇年ころから体が疲れ易く咳が出て息が苦しいなど体調がよくなく、同四〇年ころ既にじん肺管理区分二、同四一年一二月五日じん肺管理区分三となり、同四八年一二月ころからじん肺の治療に専念し、同五〇年二月三日のじん肺診断では、レントゲン所見がじん肺二型で、心肺機能検査が高度障害があり、じん肺管理区分四相当の状態にあるとされた。現在通院して治療を続けているが、咳をするとなかなかやまず、痰も出るほか息切れなどの症状があり、職に就くこともできない状態である。

リ 原告井上(大正二年三月二日生)

同原告は、昭和二二年七月一〇日被告会社に入社し、以後同四三年三月一五日退職するまでの間、加工工場で就業した(以上の事実は争いがない。)。右加工作業に従事中、同原告は、粉じんに暴露されてこれを吸収したことにより、同四〇年ころから疲れ易くて体調がよくなく、同四一年九月二四日肺結核合併のじん肺管理区分四と認定され(右管理区分四と認定されたことは争いがない。)、そのころから同四三年三月三一日まで入院してその治療をし、その後通院して加療を受けている。現在肺結核は快方に向っているが、じん肺は好転することなく、歩行時に呼吸が苦しく、気分が悪くなることがあり、職に就くこともできず、酒類販売店をしている息子の仕事をときに手伝っている程度である。

ヌ 原告古賀(大正一五年三月二一日生)

同原告は、昭和三六年三月二六日被告会社に入社し、以後同四一年三月まで成形工場で、同月から同四七年一〇月一三日まで焼成工場で、いずれも就業し、同日売店係に配転となり、同四八年八月一五日退職した(以上の事実は争いがない。)。右成形作業に従事中、同原告は、粉じん、蒸気、ガスに暴露されてこれを吸引し、焼成工場で作業中も、当時同工場の単独焼成炉やリードハンマー焼成炉にブリーズというコークス粉を投入する際に激しく粉じんが舞上り、また、焼成中に焼成炉からガスが発生して吹き出していたので、右粉じん、ガスに暴露されてこれを吸引したが、それらによって、同四七年ころ咳が多く息切れがして体調が悪くなり、同年九月じん肺管理区分三となり(右管理区分三となったことは争いがない。)、同五二年一月のじん肺診断では、レントゲン所見はじん肺二型で、心肺機能検査は中等度障害があり、じん肺管理区分三に相当するとされた。現在通院して治療を受けているが、咳と痰が絶えずでている状態であり、マンション管理人の職に就いて働いている。

ル 原告横山(大正五年四月一六日生)

同原告は、昭和二六年三月被告会社に入社し、以後同四九年三月退職するまでの間、粉砕工場で就業した(以上の事実は争いがない。)。ただし、同四六年九月停年退職したうえ嘱託として再入社した。右粉砕作業に従事中、同原告は、同工場の粉じんに暴露されてこれを吸引したことにより、同四五年ころから皮膚障害に侵され、同五二年二月二一日タール・ピッチによる皮膚障害(顔面、耳介、頸全周、前胸部、前腕伸側、手首等主として露出部に、びまん性色素沈着、雀卵斑様色素斑、脱色素斑、疣贅状皮疹、皮膚萎縮、ガス斑)と診断され、また、同五〇年ころ息切れや動悸昂進などがあり、同年一〇月のじん肺診断では、レントゲン所見はじん肺一型で、心肺機能検査では軽度障害があり、じん肺管理区分一相当とされた(右管理区分とされたことは争いがない。)。現在、皮膚障害はそのままであり、風邪をひき易く、階段を昇るとき息切れするなどの症状があり、前記退職後一年位後から建設会社で雑役的な仕事をしている。

オ 亡米田(大正二年四月二四日生)

亡米田は、昭和二一年四月被告会社に入社し、以後同四九年四月三〇日退職するまで粉砕工場で就業した(以上の事実は争いがない。)。ただし、同四三年九月一五日停年退職したうえ嘱託として再入社した。右在職中に、亡米田は、班長、副長となったが、粉砕工場の現場作業に当っており、右粉砕作業に従事中、同工場の粉じんに暴露されてこれを吸引したことにより、同四三年ころから体調が悪化し、同四四年じん肺管理区分二とされ(右管理区分とされたことは争いがない。)、同五〇年一〇月二〇日のじん肺診断では、レントゲン所見はじん肺二型で、心肺機能検査は高度障害があり、じん肺管理区分三相当とされ、同年一二月二四日じん肺管理区分四と認定された。その後亡米田は通院してその治療を受けていたが、同五二年一〇月一〇日自殺した。

ワ 原告向井(大正元年八月一四日生)

同原告は、昭和二一年五月被告会社に入社し、当初は機械修理工として、同二五年四月から同三八年三月までの間は加工工場で、同年四月から同四三年九月二二日までの間は焼成工場で、それぞれ就業した(以上の事実は争いがない。)右加工作業に従事中、同原告は、同工場の粉じん、蒸気、ガスに暴露されてこれを吸引したことにより、同三〇年ころから黒い痰や血痰が出るようになり、加えて、前示のように焼成工場も粉じん、ガスがたっていたので、焼成作業に従事中も粉じん、ガスに暴露されてこれを吸引したことにより、同四二年ころから息切れ、動悸がして体調がよくなく、同年ころじん肺管理区分二となり(右管理区分二であったことは争いがない。)、同五〇年二月三日のじん肺診断では、レントゲン所見がじん肺一型で、心肺機能検査は歩行困難のため検査不能であり(第一段階の機能検査では機能障害無し。)、じん肺管理区分一相当とされた。現在じん肺のほかに高血圧症、リュウマチ、脳軟化症のために歩行困難となり、職に就くことは不能で寝たり起きたりの生活をしている。

カ 原告松浦(明治四〇年一〇月一日生)

同原告は、昭和一二年一二月被告会社に入社し、以後退職した同四四年五月までの間、ねつ合・成形工場で就業した(以上の事実は争いがない。)。同原告は、入社後職長となったが、現場作業の中心にあってねつ合・成形作業に従事したのであり、右作業中に同工場の粉じん、蒸気、ガスに暴露されてこれを吸引したことにより、昭和二九年ころから皮膚障害に罹り、同五〇年四月一九日タール・ピッチによる皮膚障害(顔面、頸の全周、前胸部、前腕両側、手背両側、大腿前面等主として露出部に、びまん性色素沈着、大小の黒褐色色素斑が多数存在、この中に小さい角化性局面も少数認める。)と診断され、同年二月のじん肺診断では、レントゲン所見がじん肺一型、心肺機能検査では歩行困難のため検査不能であり(第一段階の機能検査では機能障害なし。)、じん肺管理区分一相当とされた。現在皮膚障害は依然そのままであり、頭痛や血痰がひどく、高令でもあり、職に就けないで殆ど寝たきりの生活をしている。

3  以上1、2のとおり認めることができ、《証拠省略》は、いずれも写真等により判断したにすぎないもので、現実に診断した結果によるものではないから、右認定を左右するに足りない。

第四帰責事由

一  労働契約のもとでは、使用者は、労働者に対して労働の場所、手段等を提供するに伴い、その一般的前提として、労働が安全および衛生の保持された状態のもとで行われるよう配慮し、労働者の生命、健康等を保護すべき義務を負っているものであり、右のような安全衛生義務は労働契約の付随義務として当事者間の信義期上是認されるべきものである。そして、かかる安全衛生義務の具体的内容は、法令に根拠を有する場合のみならず、該労働の環境、その危険および有害の現実的状況に応じて必要な措置をとるべき義務が当然に要請されるものといわなければならない。前記第一、第二で認定したように、被告工場ではコールタール分を含有する有害な粉じん、蒸気等が発生していたのであり、同工場の原告らを含む従業員がこれを吸引すると、じん肺に罹患しやすく、また、右粉じん、蒸気等に接触すると、タール・ピッチによる皮膚障害を惹起しがちであったのである。そして、被告工場の前示のような作業の性質や作業の状況からすれば、右結果の発生は優に予見可能であったものというべきであるから、被告は、新旧両工場時代を通じて右粉じん、蒸気等の発生を防止する措置をとり、右粉じん、蒸気等が発生した場合は、それらの除去、飛散の抑制をするなど可能なかぎり軽減の措置を講じて、原告らを含む従業員が前記じん肺や皮膚病に罹患しないよう配慮すべき労働契約上の安全衛生義務があったものというべきである(昭和四七年法律五七号による改正前の労働基準法四二条、四三条、労働安全衛生法二二条、二三条参照)。しかるに、前示のように、昭和三八年ころまでの被告旧工場時代においては、各作業工程に人力に依存するところが多く、高濃度の粉じん、蒸気が発生してその除去、軽減がなされないままの状態で作業が行われ、右各措置が殆ど配慮された形跡はなかったのであり、同三九年ころ以後の新工場時代においても、機械、装置の改善はなされたものの、各工場に密閉化が可能であるのにそれが未了のままであみ機械や装置があり、他にも自動化、密閉化が足りない作業方法があって、粉じん、蒸気等の発生防止、その除去、軽減が相当程度可能な余地があるのに、右各措置がとられることなく、有害な濃度の粉じん、蒸気が存する中で作業が行われているのであるから、被告は、前記労働契約上の安全衛生義務を懈怠したものといわなければならない。

二  被告は、安全衛生措置を講じたので、帰責事由はない旨主張するので検討する。

被告が新工場になってから各工場の機械、設備を改善したこと、集じん機を設置してきたこと、昭和三二年ころから被告は従業員に対し、スポンジとガーゼから成るマスクを支給し、同四二年ころからフィルタックマスクを支給していたことは前記第一で認定したとおりであり、《証拠省略》によれば、被告は、前記のようにマスクを支給するとともに、昭和四〇年ころから同四一年にかけて従業員の皮膚障害の予防と治療について各種会社および大学に照会、調査したうえ、従業員に対し、作業前にはフィッサンペーストを塗布すること、昼の休憩時浴場で洗顔し、右予防薬を塗りなおすこと、入浴後はオイラックスHを皮膚面によくのばしてすりこむこと、洗顔には蜂密石鹸を用いることなどを通達して従業員の協力を求め、また、安全衛生管理計画を立てて、保護具着用、予防薬塗布の徹底を期し、同四四年ころ安全管理組織運営基準を立案実施して右組織を整備したことが認められるが、それらはガーゼ製のマスクを除けば、すべて新工場になってからのことであり、しかも、新工場時代においても、各工場に密閉化が可能であるのにそれが未了のままの機械や装置があり、自動化、密閉化が足りない作業方法があって、粉じん、蒸気等の発生防止、その除去、軽減が相当程度可能な余地があるのに、その措置がとられることなく有害な濃度の粉じん、蒸気が存する中で作業が行われていたことは前述のとおりであるので、右認定の被告の安全衛生措置だけでは、結果の回避義務を尽したことにはならないものというべきである。けだし、加害原因が危険度や有害度が高く、損害発生の蓋然性が大きく、しかも、被侵害利益が従業員の生命、身体に関わるように重大である場合には、それに即応して結果回避義務も高度なものとなると解すべきところ、被告工場の加害原因は前記粉じん、蒸気によるものであって、まさに危険や有害の程度の高いものであり、さらにはその加害原因に基づき、従業員に危険な徴候が現出していたのであるから、被告の前記程度の措置では、加害原因に対する基本的、根本的措置を欠いたことになり、結果回避義務を尽したものとはいいがたいからである。したがって、被告に帰責事由がないとはいえず、被告の主張は採用することができない。

第五因果関係

一  被告は、前記各工場の作業環境と原告らの前記罹病との間には相当因果関係がない旨主張する。

1  工場内部に加害原因があってそれが工場内に普及拡大する性質のものであり、その内部で就業する従業員が被害者であるような場合は、その加害原因が危険で有害な程度のものであり、右加害原因が発生した事実があれば、特段の事由のない限り、右被害は工場内部の従業員に及ぶところであるから、従業員の被害と右加害原因との間には因果関係を肯定して差支えはないものといえる。本件の場合、前記第一、第二で認定したように、被告工場における粉じん、蒸気等は、コールタール分を含有し、これらに暴露され接触するとタール・ピッチによる皮膚障害となり、粉じんを吸引するとじん肺に罹患するという危険、有害な構造をもつものであり、右粉じん、蒸気等が同工場内において発出したのであるから、前示のような、原告らの職業病の罹患は被告工場の加害原因によって生じた高度の蓋然性があることは喋々するを要しないところである。

2  皮膚には生理学上自然に具備された透過阻止機能が存して働くことは被告主張のとおりであるが、原告らが被告支給の薬品を就労前に塗布して就労直後によく洗滌したとしても、前述のような被告の責任の範囲または内容から考えると、因果関係の領域においても、加害原因があったから被害結果があったという関係を否定し去ることは相当でない。

3  次に、被告主張の原告らの遺伝的素因および後発的素因の作用の有無およびその作用の程度について検討する。

イ 《証拠省略》によれば、原告枦山は、被告会社に入社する前の昭和二五年五月から同三六年一〇月までの間、長崎県大島鉱業所に採炭夫として就労し、同三六年一〇月同鉱業所を身体の都合により退社したもので、被告会社に入社後の同四〇年五月一八日には、レントゲン所見でじん肺一型疑の粒状影が現われていることが認められるが、同原告は、同四〇年三月から四月までは被告会社内で下請作業をした小堂組にいて電極切削の作業をしていたことも認められるのであり、前記第二、二、2、イにおいて認定のように、同原告のじん肺は被告工場での加害原因によって生じたものであるから、同原告の前記職歴その他の素因も加功していることは推認することができるけれども、被告工場での加害が原因となっていること否定するには足らないものであり、むしろそれが主条件となっているものというべきである。

ロ 《証拠省略》によれば、原告金谷は、昭和二二年六月被告会社に再入社当時、肺浸潤の疑があると診断されていることが認められるが、前記第二、二、2、トにおいて認定のように、同原告は再入社以前にも被告旧工場で約六年間就業していたのであり、しかも、同原告のじん肺は、その発生時期からみて、被告工場での加害原因によって生じたもめであるから、被告工場の加害原因を否定するに足りない。

ハ 《証拠省略》によれば、原告古賀は、昭和一七年一一月から同三六年三月ころまでの間、佐賀県の新屋敷鉱業所で坑内掘進夫、坑内修繕工をしていたことが認められるが、それによってじん肺に罹っていたことを認める証拠はなく、前記第二、二、2、ヌにおいて認定のように、同原告の就業していた工場では粉じん、蒸気等が存し、これが加害原因となっているのであるから、その因果関係を否定しうるものではない。

ニ 《証拠省略》によれば、原告藤井は昭和四五年ころから左室肥大および心筋障害、肝機能障害を患っていたこと、原告山内は同四二年ころから高血圧の症状があったこと、同井上は同五一年一〇月ころ高血圧、左室肥大と診断されたこと、亡米田は、同四七年ころ高血圧で治療を受け、同五〇年一〇月左室肥大と診断されたこと、原告向井は現在高血圧、リュウマチ、脳軟化症であること、原告松浦は同四八年から同五二年初めころまで動脈硬化症で入院したこと、以上の事実が認められるが、それらは、いずれもその病気の性質に徴して、右原告らの前記職業病の罹患につき前記の因果関係を否定するものとならないことは明かであり、右因果関係を否定する特段の事由が存することは認めるに足りない。

第六損害

一  被告は前記債務の不完全履行により原告らに被らせた損害を賠償すべき義務がある。

ところで、原告らは、財産的、精神的両損害を総合した非財産的損害を慰藉料として請求する旨主張するが、かかる損害の包括請求については、人身損害および職業病としての特質を考慮しても、請求および既判力の範囲を不明確にすることは他の一般の損害賠償請求との比較において明かであり、当裁判所の採らないところである。ただ、加害原因が被告工場内で生じた同一性のあるものであること、被害者らが同工場の従業員として同一階層に属し、被害も職業病という同質のものであることに鑑みると、損害の類型化、定額化にはなじみやすいことを考慮して慰藉料額を算定すべきものとする。

二  前記第二で認定した原告らの各疾病の性質、症状の程度、加療の期間、予後の状態、年令、就労の可否その他諸般の事情を衡量すると、慰藉料額は、原告枦山、同金谷、同山内、同井上、亡米田、が各一二〇〇万円、同古賀が九〇〇万円、同西野が四〇〇万円、同藤井、同阪田、同横山、同松浦が各三〇〇万円、同藁、同篠原、同向井が各二〇〇万円とするのを相当と認める。

三  前記第三、二で挙示した各証拠のほか《証拠省略》を総合すると、前示のように、被告工場ではマスクが支給されていたが、原告らを含む従業員は、作業中息苦しくなるとマスクを外したり、マスクをかけることを励行しなかったりしたことがあり、また、作業中の洗顔、作業後の入浴の際に粉じん等の洗滌が十分でなかったりしたことがあることが認められるから、右過失を斟酌してその割合は一割を相当と認め、前記各慰藉料額から相殺する。

四  前示のように、原告谷岡は亡米田の相続人であるから、同五二年一〇月一〇日亡米田が死亡したことにより、同人の損害賠償債権を相続により取得したものといわなければならない。

五  本件のごとく不法行為にも比すべき債務不履行に基づく損害賠償請求においては、相当因果関係ある範囲での弁護士費用は損害となるものと解せられるところ、原告らが弁護士に訴訟代理を委任したことは記録上明かであり、本件事案の性質、訴訟の経過等を勘案すると、右弁護士費用は、原告枦山、同金谷、同山内、同井上、同谷岡、が各一〇八万円、同古賀が八一万円、同西野が三六万円、同藤井、同阪田、同横山、同松浦が各二七万円、同藁、同篠原、同向井が各一八万円とするのを相当と認める。

第七その他

一  被告は、原告らの前記職業上の疾病については、労働者災害補償保険法に基づき補償せられるから、労働基準法八四条により本件損害賠償につきその責を免れる旨主張するが、本件損害は慰藉料であって、慰藉料は同条二項の損害賠償には含まれないものと解するを相当とするから、被告の右主張は採用することができない。

二  被告は、亡浜田の損害賠償債権は時効により消滅した旨主張するので判断する。

1  債務不履行に基づく損害賠償請求権のなかでも本件のごとく安全衛生義務の不履行による損害賠償請求権については、本来の債務の履行期というものは存在しないから、債務不履行の時から時効が進行するものと解するを相当とするところ、亡浜田が昭和四〇年一〇月四日被告会社を退職したことは当事者間に争いがないから、被告の債務不履行は同日をもって終ったものであり、同日から時効が進行することになり、亡浜田の右損害賠償債権は同五〇年一〇月四日時効により消滅したものというべきである。原告浜田は、右時効は損害を知ったときから進行する旨主張するが、右損害賠償債権の性質上民法七二四条を類推してそのように解するときは、不法行為債権の時効期間との間に権衡を失するにいたり、右主張は相当でない。

2  また、不法行為に基づく亡浜田の損害賠償請求権についても、《証拠省略》によれば、亡浜田は、被告会社粉砕工場で就業して同工場の粉じんに暴露されたことにより、昭和二二年ころから皮膚障害に罹り、次いで黒い痰が出たり、声がかすれるようになり、同二九年ころ肺結核と肝臓炎で約二年間入院し、同三六年ころじん肺管理区分二となって浴場係に配転となったが、その後は風邪をひくと喘息状の咳が出て呼吸困難になって入退院をくりかえし、同四〇年二月二五日黒鉛肺結核によりじん肺管理区分四の認定を受け、前示のように同年一〇月四日退職し、以後も風邪をひくと呼吸が苦しく、入退院をくりかえして同四七年七月一八日急性肝不全とじん肺により死亡したこと、同四八年五月三〇日付の各新聞で被告会社工場の職業病問題が記事として掲載されたことが認められるから、以上の経過に徴すれば、原告浜田は遅くとも同四八年五月三〇日ころには損害および加害者を知ったものと認むべきであり、そうすると、同五一年五月三〇日には右損害賠償債権も時効により消滅したものというべきである。

原告浜田は、被告が消滅時効を援用することは権利の濫用として許されない旨主張するが、被告が亡浜田ないしは同原告に対して、本件損害賠償の請求を妨害した事実はこれを認める証拠がなく、同原告主張の他の事実はこれが存在するとしても、右損害賠償の請求には直接関連するものではなく、他に権利濫用となる事情はこれを認めるに足りないので、右主張は採用することができない。

3  被告が昭和五四年三月一日の本訴口頭弁論期日において右時効を援用したことは当裁判所に明かであるから、原告浜田の本件損害賠償請求権は時効により消滅したものというべく、同原告の請求は理由がないことに帰する。

第八結語

以上説示したところによれば、被告は、原告枦山、同金谷に対し各一一八八万円、同西野に対し三九六万円、同藤井、同阪田に対し各二九七万円、同藁、同篠原に対し各一九八万円、およびそれぞれにつき、訴状送達日の翌日にあたること明かな昭和四九年一〇月二九日から支払ずみまで、民法所定率の年五分の割合による遅延損害金を、同山内、同井上、同谷岡に対し各一一八八万円、同古賀に対し八九一万円、同横山、同松浦に対し各二九七万円、同向井に対し一九八万円、およびそれぞれにつき、訴状送達日の翌日にあたること明かな同五二年三月九日から右支払ずみまで、前同年五分の割合による遅延損害金を、それぞれ支払うべきであるから、右原告らの請求は右の限度で正当としてこれを認容し、右原告らのその余の請求および原告浜田の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥輝雄 裁判官江藤正也は転勤のため、裁判官田中恭介は研修中のため署名捺印できない。裁判長裁判官 奥輝雄)

〈以下省略〉

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